0歳児保育の歩み-道を切り開いたレジェンドママ達の奮闘-
今では身近になった0歳児保育も、以前から当たり前に利用できたわけではありません。
出産後も働きたいと願う女性たちが声を上げ、少しずつ環境を変えてきた歴史があります。
その歩みから、現代の子育て家庭を支える保育について考えます。
(※2026年4月30日の朝日新聞の記事を参考にしています)
働き続けたい母親が直面した預け先の問題
1962年、松下哲子さんは朝日新聞の「ひととき」欄に「働く母親の願い」を投稿しました。
当時は産休が産前産後6週間で、松下さんは長男を預ける人を探すため、知人に尋ねたり近所に求人のポスターを貼ったりしたそうです。
偶然預かってくれる人が見つかり、仕事への復帰を果たしました。
現在でも、仕事と子育ての予定をどう調整するかは、多くの家庭にとって身近な問題ではないでしょうか。
まして保育の選択肢が少なかった時代の苦労を想像すると、安心して子どもを預けられる場所があることの大切さを改めて感じます。
「子どもは社会の中で育つ」という考え
松下さんの投稿をきっかけに連絡を取ったのが三井公子さんでした。
二人たちは、公立保育園で0歳児を受け入れてもらうための活動を始めます。
当時は保護者が運営する共同保育所もありましたが、資金集めなど保護者側の負担も大きかったため、より多くの人が利用できる公立保育園に対象を絞りました。
松下さんは、核家族が増える中、親子だけで過ごすのではなく「子どもは社会の中で育つべきだ」と考えていたといいます。
保育を単なる「仕事中の預け先」ではなく、子どもが家庭以外の人と関わる場所として考えていた点が印象に残ります。
市民の声から実現した0歳児保育
活動では、団地の約2千世帯を対象にアンケートを行い、仕事の後には子どもを連れて勉強会を開きました。
さらに東京や京都、大阪の取り組みを調べ、名古屋市への陳情も重ねました。
こうした活動を経て、1965年には名古屋市立保育園で初めて0歳児保育が実現しました。
現在では保育園だけでなく、家庭の事情に応じて保育を必要とする場面を考える機会も増えています。
一時的に子どもを預けたいときや、急な事情が生じたとき、子どもの体調に応じた保育を考えたいときなど、家庭によって必要な支援は異なります。
さまざまな状況に対応できる保育の選択肢があることは、子育て家庭にとって心強いことだと思います。
困りごとを声にすることから始まる
松下さんは現在の保護者に対して、困っていることを話し、「私もそう」と言える場所が増えてほしいと語っています。
保育園での何気ない会話からでも、社会を動かすきっかけが生まれるかもしれないという言葉です。
0歳児保育が広がった歴史を見ると、今ある制度も誰かが困りごとを伝えた結果なのだと気づかされます。
一時預かりや緊急時の保育、病気や回復期の子どもの預け先など、現代にも家庭ごとの悩みがあります。
「子育ては家庭だけで何とかするもの」と抱え込まず、必要な支援について声を上げられる環境をこれからも大切にしたいものです。






















